セルビアでおもったこと



セルビアの友人宅で食べたセルビアの郷土料理です。
このほかにチェバピチという挽き肉を丸めて焼いたものだがあり、なかなか油ギッシュでパワフルな料理でした。
私は好きな料理でしたが毎日食べていると流石にウエストが気になってきますね。
上記の画像の中で一番好きな料理はスープでした。このスープにご飯を入れて食べてみたいです。


 

友人の実家はPalankaというところにあり、セルビアの首都からバスで90分。70kmくらい首都ベオグラードから離れているそうです。
人口が3000人ほどで田舎でした。各家々の庭には桜の木がありました。もう少しで咲きなものや、すでに咲き始めのものもありました。
この木は梅でしょうか。綺麗でした。

Palankaの街にはアジア人は中国人しかいません。日本人はいなそうでした。
友人に「この村で日本人にあったことはないか?」と聞いたら「ない」とのこと。友人いわく「この村にわざわざ日本人がくる必要などないだろ。」
私も同感です。

ベオグラードでも見かけたジプシーロマ)の物乞いですがPalankaの村にもジプシーの物乞いがいました。その物乞いは小さな子どもでした。
ドイツでもジプシーの物乞いを見かけますがセルビアの方が多い印象。
他に見かけたジプシーは、廃品回収をしたりしていました。

ある日の夕方、友人と散歩に行った帰りに友人が「ここらへんは好きじゃないんだ」と言うので理由を尋ねると
「こころへんはジプシーのムラなんだ」と、言っていました。
セルビアでは(でも)ジプシーの人たちは当たり前に差別されていました。
「なぜ、差別するのか?」と聞いたら「路上生活だったり、人のものを盗ったり、学校や仕事に就かなかったり、身なりが汚いから」という理由でした。
この理由はどの差別事象にも差別者が差別をする理由として多く挙げるもののような気がします。
(私としては差別をする側の理由は、理由にならない。差別する側が100%悪いという考えです。)
差別する理由から、差別によって就学や仕事を得ることができず経済的に困窮し路上生活や人のものを盗ることにつながる現状があるのかなぁ~と、考えました。

また、友人の祖母と友人の家族と食事をしたとき旧ユーゴスラビアの他民族に対する強い差別意識を感じさせる会話がありました。
友人は祖母ほど強い差別意識を持っていないようです。これは世代によって違うんですね。
友人もたまに自らの民族が優れているという感覚を垣間見せ、アジア人の私と比較したりする時がありチョッピリ嫌な気分になったりしました。
自分たちの民族を他民族と比較して優れているかどうか・・・という考え方は私は好きではないです。
日本人にもジプシー(ロマ民族)にもセルビア人にも、どの民族にも良いところもあるし悪いところもあると思います。
それぞれ違った個性が世界中の各民族にはあるはずだし、だからこそ多様な文化があり、面白く興味深く、学べることが多いと思います。

首都ベオグラードには1999年3月にNATO軍によって行われた空爆の跡が残っていました。
写りが悪く残念ですが、ポッカリ穴が空き崩れたビルがありました。(もしかしたら、残そうとしているのかもしれませんが?)

また、地球のどこかの国のビルや人の心にポッカリ穴が空かないように平和を祈る気持ちです。

ジプシー(ロマ)関連の動画

「排斥されるロマ」

 

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セルビアでおもったこと への4件のコメント

  1. ゴンザレス より:

    民族問題、お感じになったとおりです。共感いたしました。世界中に差別が蔓延しています。しかし人の気持ちから差別意識をぬぐい去ることはできないと思います。形を変え、焦点を買え、差別は続きます。生物は競争を宿命的に背負っているから。人間社会、経済活動も競争で成り立っているから。

    • sasaki より:

      民族問題をはじめ様々な差別問題は難しいですね。
      なかなか日常の中の「差別」には気づかないものですよね。

  2. casimiro より:

    興味深く読ませて頂きました。

    差別という言葉の切り口で考えてしまうと、yesかnoかみたいな短絡的な思考に陥りがちです。日本のことやもっとほかの地域のことを知り、また歴史や生物的な特性など、様々な現実と背景を鑑み生涯を通じて取り組めるテーマでしょうね。

    ただ、世界の大多数の人はそこまで広い視野を持とうとも思わないし、自分本位だと思います。
    人間はまだまだかぎりなくサルの凶暴性を持った動物だと思いますし、他人を蔑んで安心を得る弱い存在です。

    日本のように地震台風で常に自然災害に苦しむ場所だと、他人を助けることで自分が助かり、また集団としての連帯を守ることで自信の生存率が上がるという事実を民族的に意識できますが、他の地域ではこの様な感性はなかなか育たないでしょうね。

    佐々木さんが見聞きして心で受け止めたことはそのままだと思います。今までの概念と今回の経験のギャップのなかでどうもがき次の一歩を踏み出すのか、楽しみにしています。

    • sasaki より:

      「差別」という単語を使うとYesかNoというものになりやすく、他者に自分の考えや想いが伝わりづらいことが分かっていますが、今回は「差別」を意識して書いてみました。
      今回の東欧への旅でジプシーへの差別も見聞きし心重たくなりましたが、それと同じくらい中国人への差別も心が重たくなりました。

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